要領良くできない…。
集団生活が苦手…。
失敗やミスが多い…。
あなたは
「発達障害が治れば、普通の生活が
できるのに…」
と思ったことはありませんか?
発達障害を持つ28歳の私が
心理士の稲津秀樹さんから学んだ
3つの知恵と工夫で発達障害を
克服したある方法を
1日23分で習得してみませんか?
「どうしてそんなこともできないんだ!?当たり前のことだから、普通にやってくれ!」
上司に叱られた僕はまた落ち込んだ。
ああ、これで何回目だろう…?
なんで僕だけこうなるのだろう
もう嫌だ、耐えられない、しんどい、辛い、要領良くできない…。
あれ、これ、それ、の違いって何?
どうして僕は発達障害者じゃなきゃいけないの?
うまくコミュニッケーション取れない
どうしたらいいの…。
もう死にたい。普通の人として生まれたかった。
職場でのケアレスミス、人間関係での苦しみが限界になった。
そして、僕は退職届を提出した。苦渋の決断だった。
帰宅後、同居している母に退職届を提出したことを伝え、謝った。
僕「せっかく頑張るつもりだったのに、退職という形になってごめん。情けないよね。なんとかして新しい職場を見つけ直すから。みんなに認められるようにするから。」
母「そっか。それが正しいと思ったのなら、私は応援するよ。」
意外にも極めて楽観的な反応だった。
そんな母が心配になり、
僕「自分に向いている職種や、発達障害のグレーゾーンを持つ人に特性のある仕事をもう一度探し直して、なんとかするからね。もしうまくいかないなら命を捨てる覚悟だよ。」と、つい大袈裟な言葉で母に決意を伝えた。
母「そんなことをむやみに言わないで。もしこの先のことで不安があるなら、きちんとプロの人に相談するとか、一人でなんでも抱えちゃダメよ。」
わかっている。昔からネガティブになるたび、つい死にたい、などと言葉に出し、よく母を困らせてばかりだった。けど、今僕は無職だ。とてもポジティブになれるはずがない。転職活動もしなきゃ…。
しかも僕は発達障害者であり、グレーゾーンのため障害者手帳も持っていない。学生時代の就職活動でも面接で全然上手くいかず、どれだけ多くの不採用を受けたことか。面接も苦手な上、発達障害を持つ僕が就職できる場所なんてない。正社員として立派に生きなければ、存在価値がない。どうすれば…。僕の人生、終わったな…。
僕「うかつなこと言ってごめん。でも、発達障害を持って就職することでさえ難しい僕はどうすればいいか不安になって。向き不向きが激しい僕でも適性ある仕事見つけて、続けられるようにならなきゃいけなくて。まずはマイナビで探すから。」
すると母は、何かを思いついたように言った。
「待って。もしよければ、お母さんの知り合いで、【稲津秀樹さん】っていう心理カウンセラーの人がいるの。パソコンのzoomを通して、就職や今後の人生のために一度相談してみるといいよ。」
いなづひでき…? どんな人だろう。知らない人なのに、大丈夫なのかな?
僕「いなづひできさんって、どんな人なの?僕は今まで精神科医に診てもらったけど、効果なかったし、大丈夫なの?」と聞いた。
母「仏教や心理学の考えをもとに心理カウンセリングを行なっているそうよ。たとえば、お母さんの昔の友達で、発達障害を持つお子さんを担当したことがあるそうよ。その子は今まで精神科医でも克服できなかった発達障害の症状を、ヒデさん(稲津秀樹さん)と一緒に学習して、克服したの。」
それでも信じられなかった。
僕「子供の間ならまだ取り返しがつくよ。でも、僕はもう大人だもん。過去の経歴で人生は決まる。手遅れだよ。」
母「そんなことないよ。他にも、あなたよりも年上の発達障害を持つ人、うつ病に苦しむ人のカウンセリングをして、自分らしい人生を送れるようになった人が多いんだって。これからの人生のために役にたつと思うから、一度面談をしてみない?」
僕「今まで発達障害の病院回ってきたけど、治らなかったじゃん。どんな治療受けても、結局は意味なかったよ。今回だって同じでしょ。僕は発達障害を受け入れて、辛い人生しか送れないよ。生まれつきのことだからどうにもならないよ。」と断った。
けれど母は折れずに
母「騙されたと思って、受けてみなよ。発達障害を他に持つ人、みんな治してきたそうよ。一度、騙されたと思って受けてみて!」と続けた。
結局僕は、母の説得を断れなかった。
僕「わかった、そこまで言うなら受けるよ。でも、うまくいくかわからないからね。一回受けるだけだよ。」
仕事を辞めた状態でこんなことして大丈夫なのかなぁ?そりゃ転職先間違えたくないし、自分の適性を調べておかないと…。けど、今仕事がないから、一刻も早く仕事に就かないといけないし…。けど僕は面接苦手だし、どうすれば…。
後日、申し込みをして、zoomで稲津秀樹さんとカウンセリングを行った。
すると、
ヒデ「あなたの心の苦しみの原因は、【あなた自身の心の中にある、ものごとの捉え方、つまり「観念」にあります。】まずは、自分の中にある観念を、修正、手放して、行きやすさを手に入れましょう。」と伝えた。
いや、観念って何?固定観念とか…? 今まで苦しんで生きてきた原因って全部僕のせいなの?発達障害だからどうにもならないんじゃないの?
僕はヒデさんに
僕「いや、僕は発達障害って診断されたことがあるんです。もちろん直さなきゃいけないことはわかっているのですが、そんな、自分自身の価値観や考え方って簡単に直したりできるものなんですか?価値観は元々ついているものだし、それと生きづらさってどうすればいいの?」と言った。
するとヒデさんは、
ヒデ「治せますよ。あなたが自分の中にある観念、考え方について、私と学びながら、見つけ、修正、手放していきましょう」と話した。
本当に大丈夫かな?無職の身で、尚且つ発達障害。適性のある分野、発達障害による特性を受け入れて、限られた選択肢の中で社会を生きなければいけないのに。
僕「僕は今無職の身です。どんな仕事に就けるかは適正で決まるんですよね。適正分野を見つけて、自分が戦える分野を見つけることができるんですよね?」
思わず焦りから転職の相談も含めて稲津秀樹さんに投げかけた。
ヒデ「『適正で決まる』と思う原因も観念です。まずはあなたの中にある観念を見つけ、転職活動やあなたの豊かな人生のために勉強をしましょう。」
僕「待ってください。『適性、向き不向きがある』も観念?生まれ持っての特性じゃないの?そもそも、発達障害の特徴は、何ですか?」
ヒデ「発達障害の症状もあくまでの観念の強さによるものです。発達障害の症状も自分の捉え方次第で乗り越えることはできます。自分の中にある観念を認識して、観念を手放すことが大事です。そのためにも面談を続けることが大事です。」
僕「…わかりました。受けます。」受けることを決意した。
それから後日、心理テストを約90分間行い、自分がどのような価値観、考え方を持っているかをテストされた。そして後日、テストの結果が出された。
ヒデ「『〜でなければならない』と言う考え方や、真面目さが強い傾向がありますね。カウンセリングを通して、観念、考え方を持つ原因を探りながら改善していきましょう」
僕「無職の僕がそんなことして大丈夫なんですか?僕は発達障害を持っていて、普通の人よりも社会を生き抜くのに足枷ばかり。しかも無職の状態で。早く就職しないと生きていけないし、ダメなら人生終わりですよ…。生きるか死ぬかの狭間だし、社会で認められないなら、命を捨てる覚悟でいるのに…。」
ヒデ「そう思う原因はなんですか?どんなことをきっかけに、『認められなければ無ならない』、『適正にあった仕事をしなければならない』と考える様になりましたか?」
僕「…覚えていません。向いている仕事見つけるためにも、必要なことですか?」
ヒデ「あなたは、『向いている仕事』と、『やりたい仕事』があれば、どちらを選択しますか?」
僕「そりゃ理想は「『やりたい仕事』ですが、発達障害を患っている以上は選択権はないので…。
ヒデ「『発達障害だから選択権がない』というのも、あなたが誰かから聞いた『観念』ですね。向いてる仕事、やりたい仕事のどちらを選ぶにしても、『観念』を手放さなければ、なかなか幸せにはなれません。」
僕「新しいところを探す上で、自分自身を修正しないといけないんですか?」
ヒデ「そうです。自分の中にある観念を一つ一つ手放さないと、どんな職業をやっても同じ状況になります。なので、環境や適性を測る前に、まずは自分がどんなことが原因でどんな観念を持っているかを知る必要があります。そして、観念を手放さなければいけません。」
僕「…わかりました。今後のために必要ならばやります。」
ヒデ「では、課題として、自分の中にある観念を紙に書き出して、次回私に教えてください。」
面談を終え、僕は自分の中にある「観念」を見つけるため、自分の中にあるルールを紙に一つ一つ書き出した。
「空気を読まなければならない」
「周りを見なければならない」
「出しゃばってはいけない」
「お金を稼がなければならない」
「周りに合わせなければならない」
…
「自分を犠牲にしなければならない」
「男らしくならなければならない」
「周りを頼ってはいけない」
「強くなくてはならない」 など。
後日、また面談をした。紙に書き出した「観念」をヒデさんに教えた。すると、
ヒデ「なるほど、全て相手に認められたいという観念が原因かと思いますね。多くの場合は両親や学校の先生からの教育などにより植え付けられたものが多いです。」
僕「だって、周りの人が自分の価値を決めるのであれば、当たり前のことじゃないですか。認められないと生きていけないし、ましてや僕は発達障害者なので認められにくい。僕が改善したからって、どうにかならないと思いますが。」
ヒデ「それは、あなたがまだ周りの言葉によって自分で観念、つまり自分の中に自分でルールを決めてしまい、心の中で行動を制限しすぎて、身動きが取れなくなるのです。身動きが取れない状況にあることを自分で認識し、観念を手放す必要があります。」
僕「え、『真面目、〜でなければならない』って、どれも元々の考え方や個人の気質ですよね。そんないつから身についたかもわからないことを、どうやって改善すればいいんでしょうか?そもそも、治せるものですか?」と疑いの思いを伝えた。
ヒデ「人から言われことを誰が見ても当たり前、同じこと、つまり『概念』と感じる人が多いです。認められなければならない、と感じることが概念ではなく観念であることを認識できるようにしましょう。」
僕「そんなのは昔から決まってきたことでしょ!?日本では常識としてできていて、できない人は社会で生きる権利すらないものじゃないの!?」
ヒデ「なるほど…。常識だと感じることが世の中には多くあります。ただ、その多くは教育などを通して教えてきたものです。間違いというわけではないですが、常識と感じる物事によって、自分自信を苦しむ原因にもなります。大事なのは、【常識】と感じるものを理解し、【常識】に囚われすぎない様にすることです。」
「じゃあ、自分が知っている【常識】って全て誰かから教わったものなんですか?」
ヒデ「そうです。多くの場合は教育課程の中で教えるため、気づかずに過ごすことが多いです。【常識】を守り社会を送ることは確かに大切ではありますが、囚われすぎると自分自身を苦しめることがありますよ。」
僕「…そうなんですね。でも、一度学んだ常識からどうやって自分を解放したらいいんですか?そもそも、常識は守らなきゃいけないのではないですか?正社員として今後生きていく上でも、周りに合わせないといけないし、組織に合わないとやめさせられることだってあるのに…。囚われないようにしても大丈夫ですか?」
ヒデ「常識を理解しつつ、常識にとらわれないやり方も理解して、どちらも否定しないようにすることが大事です。あくまでも常識は人の考え方の一つであることを理解することが大切です。」
僕「常識にとらわれないようにするにはどうしたらいいんでしょうか?」
ヒデ「まずは常識、つまり観念がいつから持ち始めたのか、原因を探ることが大切です。次の課題として、上で書いてもらった観念ができた時期、原因を書き出してみてください。」
思ったより長いな。母さんにも時間がかかることを伝えたが、焦らず一つ一つやるしかないよ と言われた。稲津秀樹さんの課題を一つ一つやるしかない。仕方ない。やるしかないな。
原因か…。幼少期のこともあるから、全部は把握しきれないけども。
父親や学校の先生からの叱責による受け止め、クラスメイトからの嫌味、注意ばかりだった気がする。空気を読め…。周りに合わせろ…。周りに認められるように行動しろ…。挙動を治せ…。自分を殺せ…。
物心がついた頃から、ほとんどは周りに合わせることや空気を読むことの大切さを教え込まれたことが多い。僕が持っている観念の多くは、周りからの注意と、注意から生まれた承認欲求ばかりだった。
2週間後、3回目の面談を迎えた。観念の原因を一通り伝え、ヒデさんの返答を待った。
ヒデ「なるほど。どの観念も周りからの評価を基準にしている印象を受けました。」
僕「言われてみればそうですね。これらの観念は本当に手放せるのでしょうか?」
ヒデ「仮にそのような観念、考え方や価値観が【なかった場合】を想像してみてください。もし、『〜でなければならない』、『真面目であるべきだ』と言う観念がなければ、あなたはどのような心になりますか?きっと怒りや、悲しみなどの感情が湧かないはずです。」
僕「言われてみれば確かにそうです。でも、物事の感じ方や捉え方は個人によって異なるはずです。治せないものじゃないんですか」
ヒデ「確かに元々の気質の影響もあります。けど、自分でどの程度感情や怒りが湧くかを自分自身で認識できるようにすることで、コントロールすることは可能です。そのために、観念を手放すことが大切ですよ。」
僕「なるほど…。でも、どうしたらコントロールできるようになるんですか?」
ヒデ「観念がない場合をイメージして、紙に書き出してみてください。もしも観念に反する、例えば、思い通りにならないことがあった時、観念があるのとないのとではどのような違いが発生しますか?」
僕「観念があると、落ち込み、悲しく、怒りが湧きます。逆に、観念がなければ、悲しみ、怒りがわかず、気にならなくなります。」
ヒデ「そうです、そういうことです。」
なるほど、そう言うことか。だけれども、僕はまた疑問に思ったことがあり、ヒデさんに質問した。
僕「でも、観念がない場合のイメージは簡単ですが、どうやって手放していけばいいんですか?周りの人だってそのような同じ考えを持っていたとして、手放すのって難しくないですか?」
ヒデ「周りの考えと、自分の考えをうまく分けることが大切です。周りは周り、自分は自分、あくまでも自分軸で生きていくことで、克服できます。」
僕「わかりました。意識してやっていきます。」
そうか…。そのような考え方をしていくことで、改善できるんだ。
それから、およそ3ヶ月間かけてカウンセリング、自己学習を続けた。
転職活動の中で不採用や自己受容感が乱れる度、ヒデさんに相談を重ねた。
僕「面接の雰囲気、予想外の質問に対応できません。どうしたらいいですか?」
ヒデ「心が乱れているのは、自分の中にある観念に呑まれている状況ですよ。あなたの手放しきれていない観念に気づき、手放すことを繰り返して、根気良く続けてください」と言われた。
僕「面接が向いてないのですか?僕は落とされるたびに生きる価値がないのでは、と何度も感じるばかりです。すごく辛いんです」
ヒデ「慣れないことを向いていない、と感じるのは早すぎます。何十回と繰り返し、観念を手放しながら続けていくことが大切ですよ。自分を否定するのは、あなたの中にある観念が原因です。」
続けていくしかない。言われた通り、観念の手放しと転職活動を続けていった。
3ヶ月後、ようやく事務職から内定を貰った。
周りに合わせることを意識しすぎないようにすること、自分が何をしてどのように生きていきたいか、その上でどんな観念が障壁になっているかを探し、手放すことが大切だと実感した。
以前よりもネガティブ思考が少なくなり、発達障害をコンプレックスに感じなくなった。
その後、転職を果たし、職場の環境に左右されにくくなった。あくまでも他人と自分、その上で、信頼しあい、自分の考え方、観念を手放すことで、渡り合えるようになった。
そして、ある決意を胸に、一人暮らしを始めたのだった。
自己紹介
初めまして
衣笠洋輔です。
1996年生まれ、神奈川県横浜市出身の28歳です。
自閉症スペクトラムのグレーゾーンを持ちながらも、
毎日楽しい人生をおくっています。
私が発達障害であることがわかったのは、
小学2年生の時です。
昔から周りの子供よりも言葉や学習のスピードが遅いことが多かったです。
心配した母に大学病院連れて行ってもらいました。
そして検査の結果、自閉スペクトラム症のグレーゾーンと診断されました。
当時はまだ自分が発達障害であることを自覚していなかったため、
特に意識することなく生活していました。
自分が発達障害であることを意識し始めたのは小学3年生ごろのことです。
自分の思い通りにいかないことに対して癇癪を起こす
完璧主義となり、うまくいかないと怒る
など、浮いた存在となりました
そことを心配した親や学校の先生の紹介により、
発達障害に苦しむ子供をサポートする
特別教室で、定期的に授業の途中で早退し、行動療法を行いました。
行動療法を通して少しずつマインドコントロールができるようになり、
一時的に回復しました。
その後、小学5年生のタイミングで、
姉の私立中学進学の関係で、
出身地横浜に引っ越すことになりました。
しかし、そこで再び試練があったのです。
転校先では、暗黙のルールや協調性などが求められ、
地方の比較的のんびりした小学校で
自由気ままに行動してきた自分には、
とても馴染むことが難しく感じました。
もちろん、自分にも落ち度はありました。
つい出しゃばる、口の中や鼻の穴を触るなど、
清潔感や落ち着きを意識しないで行動していたことで、
周りから人が離れて、家族も注意するばかりでした。
その後、言われたことを止める努力をすることで、
一時的に人間関係は修復しました。
しかし、そう上手くは行きません。
自分をからかうクラスメイトからの挑発に乗り、
怒りを感じることがしばしばでした。
発達障害の「特性」もあり、
感情のコントロールがうまくできず、
ついカッとなるので
周りの同級生は再び離れるようになりました。
当時は空気を読むことをよく知らず、
どうしてみんな助けてくれないの?
相手が悪いのに…。
と考えるばかりでした。
周りのせいにして自分から逃げた私は、
地元の中学で同じ人間関係を持つのは良くないと考え、
父親からの反対を押し切って、
中学受験で中高一貫の私立中学へ入学しました。
しかし、それでも発達障害による「馴染めない生活」は終わりませんでした。
理由は、環境のせいにしていたからです。
中学生活を始め、さあここから頑張るぞ!
自分を認めてくれる人と会って、楽しい生活を過ごそう!
と言う思いでスタートしました。
始めは仲良くできる人も多くいましたが、
次第に人間関係で合う人、合わない人がはっきりしてくると、
グループの輪に入れず、
馴染める人が少なくなってきました。
どうすればいいかわからず、
自分の思い通りにならないことがあると…
ついカッとなる、喧嘩をする
そのようなことを繰り返すばかりでした。
次第に仲良くなれる人が少なくなり、
また一人ぼっちになってしまいました。
もうやめたい、学校に行きたくない…。
母や姉にもつい怒ってしまう、
八つ当たり…。
今考えればとても恥ずかしく、
後ろめたい経験ばかりでした。
また、完璧主義なところが多く、
学校の課題を完成させなければ
存在価値がない
と言う価値観、観念が出てきてしまい、
テスト前になると不安と恐怖でいっぱいになり
といった考えが強くなってしまい、
ついカッとなる、怒ってしまう
ことが多かったです。
また、空気が読めないやつ
自分勝手なやつ
挙動不審なやつ
などとレッテルを貼られ、
仲良くなれる人が少なくなりました。
その反発もあって、
自分を揶揄う相手に怒る
かまってほしい、仲良くしてほしい
と言う承認欲求に縛られ、
からかい返す
と言う行動を起こすばかりで、
ますます周りから助けてくれる人がいなくなってしまいました。
やがて人がいなくなると
いじめの対象にもなりました
ただ、自分が
からかい返した経験や、
特性が仇になり
周りには味方になってくれる友達がいませんでした。
そのため、どうすればいいかわからず、
生きることが辛くなり
母には
「学校をやめたい!」
「生きるのが辛い!」
「死にたい!」
「何のために生まれたのかわからない!」
と思っていることをそのまま言いつけて
八つ当たりするばかりでした。
心配した母は家近くの精神科医に私を連れて行き
薬物療法を通して治療を行いました。
さらに、心の拠り所を探すことや、認知行動療法のため
学校内の無料カウンセリングで放課後に定期的に面談をして、
メンタルケアに取り組み始めました。
すると、
ありのままの自分を受け入れること
好き嫌いが決して悪いことではない
生きていることで自分を認めてくれる人がいる
そのようなことを学んで、
自分自身のマインドコントロールが
少しの間だけできるようになりました
しかし、まだ学校での試練は終わらなかったのです。
高校2年の時に理系の選択をした後、
物理や数学ⅢCの学習内容が全くわからず、
授業についていくことが難しくなりました。
原因は自分の容量の悪さ、
一つを理解することに他の生徒よりも何倍も時間がかかるため、
次第についていけなくなりました。
また、先生に質問をしても、
自分で内容を理解していないため
質問内容もうまく伝えることができず
わからないまま終わってしまいました。
その結果、とうとう
高校2年で初めて物理で赤点を取ってしまい
再試験を受けることになりました。
成績が悪くなると、また感情が乱れてしまい
また、周りに八つ当たりをするようになりました。
度々先生に呼び出され
精神面、性格を直せ
お前が悪い
など、怒られるばかり
なぜ僕の気持ちを見てくれないの
なんで僕が悪いの…?
と被害者意識を持つばかりでした。
根性論で教えるタイプの先生のやり方のせいにして
自分で理解しようとしなかったため
自分は悪くない
といじっぱりとなり
物理を選択したのが間違いだったと考えるようになりました。
当時、中々改善できない様子を心配した母が、
別の精神科医に私を連れて
診断テストをもとに
定期的にカウンセリングを行いました。
すると
アスペルガー障害の影響なのか、
「空間認知がとても苦手な傾向がある」
と言われました。
「もしかしたら、理系の分野がそもそも向いていないのかもしれない」
などのアドバイスを受けました。
カウンセラーからのアドバイスをもとに
母と相談の後、
理系から文系に変える事を決意し、
文系大学の受験勉強を始めました。
進路や受験勉強の進捗のため先生の面談の際に
どうしても物理や数学ができない
だから文転をしたい
やりたい分野が理系の内容になかった
そのようなことを話したところ
理系のクラスにいるのに周りの生徒を裏切る行為だ。
空間意識なのに数学を利用して受験するのはおかしいのではないか
などと文句をつけられるばかりでした。
その言葉がずっと頭に残ったまま大学受験を勉強し、
今度は自分から周りの生徒との人間関係を拒むようになりました。
どうすればいいかわからない
担任に言われたように自分は周りを裏切った
だけど、自分のことは自分で決める
心のわだかまりを消すには受験で偏差値の高い大学に受かるしかない
と言う観念、価値観を自ら背負いました。
しかし、自分が目標としていた大学には合格できませんでした。
ただ、滑り止めの大学には合格したため、現役合格は果たしました。
その後、どうしても納得できないことを伝え、
両親の反対を押し切って、
一年間浪人して大学受験の再チャレンジをしました。
結果は第一志望には合格できませんでした。
それでも、現役の時より偏差値の高い大学には合格したため、
その大学へと進学しました。
大学生活でも単位の取得や人間関係に苦戦するばかりでした。
苦戦と言っても、
自分自身で
苦しいもの
乗り越えなければならないもの
と考え込んでいたのが原因でした。
具体的には
大学生活では彼女を作らなければ価値がない
女性関係の場数で人間の価値が決まる など
周りの友人の言葉を鵜呑みするばかりでした。
中学、高校生活で友達がうまく作れなかったことを反省し、
大学生活では絶対に友達を作ろう
という思いでスタートしたため、
友達の言うことは絶対、正しいのだ
という観念によって、自分を否定するばかりでした。
その結果、
主体性がない
周りに頼りすぎ
じれったい
面倒臭い
と言う印象を周りに植え付けてしまいました。
また、人間関係に苦しむばかりで勉強の両立ができず
定期試験では単位が取れず
容量が悪い
頭が悪い
無能
と言われるばかりでした。
アルバイトでカフェやイタリアンで勤めましたが
同時作業がなぜできない!?
ちゃんとやれ、普通にやれ!!
と怒られるばかりでした。
次第に自分を否定するようになり
自分は生まれた時点で不幸ものだ…。
人生終わりだ…。
と言うネガティブ思考から抜け出せなくなりました。
部活動では少林寺拳法部に入部し、練習をしましたが
ペアとの練習で実力差が大きく
よくできる子から自分の不器用さに腹をたて、
どうしてできない!?
やる気ないならやめろ!!
などと怒られるばかりでした。
自信を失った私は
次第に練習に参加することを恐れ、
やがて幽霊部員となり、
学問を優先することを理由として休むようになりました。
その後、自分の努力もあり四年間で何とか
単位取得を果たし、卒業を迎えました。
大学後の進路では、
母親から
「職場環境や収入を安定して得られる公務員がいいよ」
と言うアドバイスを鵜呑みにして
地方公務員試験で就職を目指しました。
しかし
元々コミュニケーションに苦手意識が強かった私は
一次試験の勉強では合格できても
2次試験の面談では不合格
結局全滅に終わりました。
また、就職先が決まらないことで父親との関係は悪化し
やがて会話がなくなりました。
その後、何とか現在勤めている人材派遣会社への就職を果たしました。
社会人生活でも、困難は続きました。
人材派遣会社では、コールセンターへ派遣され、
そこで業務研修を行いました。
パソコンを一度に複数扱い、
お客様に寄り添った対応をするよう教わりましたが、
複数を同時にこなすことが苦手な私はついていけず、
不合格、雇い止め。
を一年間で3回繰り返すばかりでした。
やがて、上司からは
給料泥棒
根性なし
女みたいな奴だ
などと嫌味を言われるばかりでした。
私はまた自己嫌悪、自己否定に陥りました。
容量が悪い
どうして僕は容量が悪い人に生まれなきゃいけなかったのか
どうして僕はコミュニケーションが苦手な人に生まれなきゃいけなかったのか
などと言う考えに陥りました。
その後、上司の交代によって
コミュニケーションが少ないチャットワークのお仕事を努めることになり、
そこでやく三年間の契約で続けることができました。
また、仕事をしながら仮面浪人で地方公務員を目指していましたが、
毎年2次試験で不合格。
落ちるたびに周りからは
「まだチャンスはある、目指しているなら続けるべきだよ」
と言う励ましに頼りながら続けるばかりでした。
けれども、次第に自分は公務員に向いていないのではないか?
続ける意味はあるのだろうか?
と疑うようになりました。
さらに、社会人になってからも
実家暮らしをしていることを気に食わない
父親との関係が悪化しました。
というのも、元々昭和的な考え方が強い父にとっては、
「男は働く様になったら自立して家を出るものだ」
という考えにそぐわず、邪魔な存在でしかなかったのです。
すれ違うたびに怒鳴られるなど、
2年ほど気まずい関係が続きました。
外でも家でも日常生活で居場所を失った私は
このままでは良くない
自分の発達障害をどうにかしたい
と言う思いで
一度独自で都内の精神科医で検査をしてもらいました。
すると、「自閉症スペクトラムのグレーゾーン」
と改めて診断され
機械を使って治療する「TMS治療」を行うことを勧められました。
ちなみにTMS治療とは簡単に言うと脳に電流を流す治療です。
帰宅後、これまでも発達障害の自分に寄り添ってくれた母に
「TMS治療をしたい」ことを伝えると
母は、
「その治療法は最新すぎてお母さんとっても心配。
すぐにTMS治療に決めないでよく考えて。」
「機械に頼る方法はやめた方がいいよ」
「カウンセラーの稲津秀樹さんと面談してもらった方がいいよ」
と言われました。
それでも僕は
「発達障害は生まれつきだから治せない」
「せめて少しでも普通の人に近い生活がしたい」
ことを話しました。
すると母は、
「でも、もし機械に頼らずに治す方法があるなら、
洋輔はどうしたい?」
と質問を投げかけました。
そこで僕は
「その方法が実際にあるなら、それを選びたい。」
「だけど、その方法がある保証はないよ」
と言いました。
母は、
「そうしたら、治療を申し込む前に
発達障害に詳しい心理士の方がいるから
その方にお母さんが相談してから決めてもらってもいい?」
と伝えました。
僕は納得して、結果を待ちました。
後日、母から結果を聞きました。
「心理士の方によると
TMS治療は、
まだ新しい治療で良くなることもあれば、
そうではない事もあるみたい。
お母さんも脳に機械で電流を流す治療はとても怖いわ。
今はまだ辞めておいた方がいいと思う。」
「機械の治療より今後の将来のためにも面談を通して治してみない?」
とアドバイスを受けました。
私は
「それなら一度面談を受けてみるよ」
と伝えた。
すると母は、さらに忠告を伝えてきた。
「途中で辞めずにしっかり続けないと
効果が出ないからやるならしっかりやる事が大切よ」
「面談を始めると、
プライベートや他の人がやることとは違う生活に進んでいく」
「時間もお金も克服するまでは、
前よりは自由に使えなくなるかもしれない」
「それでも続けていく覚悟はある?」
と伝えてきた。
「それでも続けていく覚悟はある?」
と伝えてきた。
僕は迷った。
けれども、元々発達障害を持っていること
普通に思われたことがない経験
思い返してみれば、普通を目指すのではなく、
自分に合った人生を送ることができるのなら、その選択をしよう
と考え、申し込みを決断した。
※ここから稲津秀樹さんを【ヒデさん】と記載
後日、ヒデさんと面談を行いました。
洋輔さんの思考は、考え方の元にある観念が原因で
生きづらさを感じていますね。
これから、洋輔さんがどんな人生を送っていきたいか、
また
どのようになりたいかを元に、面談を続けていきましょう。
と言われました。
そして、面談を通してからの3ヶ月間で、
自分自身の内面に目を向け、改善することの大切さを基本とする
「ある3つの知恵と工夫」を学びました。
そして、新しい場所での生活を求めて
2023年4月から埼玉県で一人暮らしを始め、
自分自身と向き合いながら楽しい生活を謳歌しています。
「ある知恵と工夫」、「ある決意」とは?
「ある知恵と工夫」とは、発達障害による不自由さ、不器用さを改善し、問題と感じない知恵と工夫です。
わたし自身も同級生、さらに友人や上司の言葉を深刻に受け止めすぎてしまい、自分のできないことや苦手なことを治さなきゃ、という考えをもとに頑張り、挫折することを繰り返しました。
自然と湧いてくる「感情」に意識を向ける。気がつくと頭に浮かんでくる「思考」に意識を向ける。さらに自身の考え方の根本にある「観念」を知り、「観念」をなくす。
本当にこれだけのことで乗り越えられるの?と疑問に思った方々もいるかもしれません。でも、それだけで乗り越えられます。
毎日30分約半年間続けるだけで、ネガティブな思考やうつ病などの2次的症状の再発が防げるようになります。さらに、思い込みが減ることで無駄な考えが減り、仕事などのパフォーマンスの向上にもつながります。
私が学習を通してわかったのは、「たとえ発達障害であっても、心理学の知識と工夫で生きづらいと感じる社会生活を克服できる」ということです。
たとえ発達障害であっても、特性に合わせて物事のうけ捉え方を改善する努力をすれば、発達障害によるコンプレックスを気にせず、楽しい人生を送れるようになります。
「ある決意」
発達障害を乗り越え、生きやすさを実現するための知恵と工夫を与え、少しでも多くの人が救われるために行動する決意です。
私自身は発達障害のグレーゾーンを「発達障害を乗り越えるための知恵と工夫」を通して乗り越え、楽しい人生を送れるようになりました。この経験をいかし、今度は私と同じように発達障害で生きづらさを感じる多くの人々のために行動したいと思います。
そこで、「発達障害を乗り越えるための知恵と工夫」を提供する決意をしました。
あなたは発達障害を持つことで、次のような悩みはありませんか。
「空気が読めない」
「コミュニケーションが取れない」
「ケアレスミスが多い」
「周囲のことに気づけない」
「要領が悪い」
「気にしすぎる」
「感情を上手にコントロールできない」
「周りが見えなくなる」
「周りに気を使いすぎる」
「物忘れが多い」
「相手との距離感が掴めない」
「頑張りすぎる」
「マルチタスクが苦手」
「発達障害を乗り越えるための知恵と工夫」を学べば、物事の考え方が変わり、豊かな人生が送れるようになります。
発達障害の治療方法は、一般的に「定期的なカウンセリング療法」や「精神安定剤などの薬物療法」があります。これらの治療法では、一時的な効果はありますが、うつ病などを繰り返すことがあります。
また、費用(1回45~60分で6000円〜8000円程度 週1で通うと月額24,000~32,000円 )がかかるなどのデメリットがあります。さらに克服するのに約半年間かかります。せっかくならお金もかからず効果がある方法で克服したいですよね。
そこで、わたしの提供するサービスを通して、少しでも多くの発達障害を持つ人が社会に適応し、精神的に豊かな人生を送れるようになってほしいと思います。
今回学習いただく「発達障害を乗り越えるための知恵と工夫」は、毎日継続することで効果が出ます。つい面倒になって途中で辞めてしまうと、効果に時間がかかる可能性があります。なので、毎日焦らず一日30分、約半年間続けましょう。
テレビを見る時間を勉強時間に変える、通勤時間の間に動画を見るなどの工夫で、時間を確保できます。「半年」と聞くと遅いな、長いなと感じる人も多いかと思います。確かに長いです。
でも、通常のカウンセリングを半年間通う場合と、「発達障害を乗り越えるための知恵と工夫」を半年間学ぶ場合を比べると、後者の方が、効率が良いと思います。せっかく克服するなら安くて有効な方がいいですよね。
この勉強を毎日継続してやることで、物事の考え方が肯定的になり、生きづらさを次第に感じにくくなります。そして、ポジティブな考え方を習慣化させることで、うつ病などの2次的症状の再発が起きにくくなります。
こんな不安持っていませんか?
効果がない?
発達障害なんて治らない
どうせ他と一緒でしょ
やっても続かないでしょ
面倒臭い
時間の無駄
お金の無駄
勉強なんかで治るなら苦労はない
どうせダメだ
つまんない
そんな不安、ありますよね。
でも、今回紹介する学習内容は、いつでもどこでもできるように動画を見るだけで学習できるようになっています!通勤時間、食事をとりながらの時間、トイレの時間など、いつでもどこでも勉強できる内容です。隙間時間をうまく使うことで、1日30分、簡単にできるようにしております。
※注意※
「発達障害を乗り越えるための知恵と工夫」は、私自身が少しでも多くの発達障害で苦しむ方が楽しく、自由な人生を送れるようにするための学習です。
発達障害を患いながらも、本当に克服したい人、幸せな人生を歩んでいきたいと強く望んでいる人だけ、申し込んでください。
ですから、軽い考えで申し込むことだけは絶対にやめてください。毎日30分、半年間本当に継続して、幸せを実現するための学習であるため、継続できないとお金も時間も浪費し、あなた自身が損をしてしまいます。
まずは、30日間の「発達障害のコンプレックスを克服できる無料メール講座」をぜひ読んでみてください。
この無料メール講座を、毎日読み進めていただくことで…
あなたの発達障害に対する捉え方が変わり、悩みや苦しみが少しずつ軽くなり、あまり気にならなくなります。
そして、自身の人生が楽しく感じられます。
自分自身の土台を築き、根本の部分から改善し、発達障害による苦しみを自分でコントロールできるようになる方法を、わかりやすくお伝えして行きます。
その方法を知りたい!と言う方は、「発達障害のコンプレックスを克服できる無料メール講座」をぜひ読んでみてください。
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また、ラインで直接質問することもできます。何か気になることや、ご質問などがありましたら、下記の『友達追加』からLINEで気軽に質問をお待ちしています。
@730fjzbo
この度は、月額税込9,800円(※1ヶ月返金保証付き)で「発達障害を乗り越えるための知恵と工夫」を提供したいと思います。
また、この度初回特典として本日から3日以内に申し込まれた方限定で、本来月額9,800円のところ、期間限定で3日以内であれば60%オフの月額3,920円で学ぶことができます。
さらに非公開の限定マニュアルを今回に限り特別にプレゼントします。
期間を過ぎてしまうと通常料金となり、限定マニュアルもつかないので迷われている方はお早めにお申し込みください。
私のカリキュラムではたったの月々3,920円で発達障害による生きづらさを克服し、生きやすさを実現することができます。
それでは、下記のオレンジ色のボタンを押して、お申し込み手続きを完了してください。
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